高砂(能)を観た。

初めて、能を観に行った。

能は数百年以上続く日本の伝統芸能だ。今年はじめに<立川 志の輔>師匠の落語を能舞台の聖地である「観世能楽堂」で観た。
思わず息を呑むような荘厳な空間。それでいて、舞台の装飾は極めてシンプルである。舞台後方に大きな老松があるだけだ。

能舞台に宿る「気」に魅了され、志の輔さんの「能」に関する小噺を聴いて、ますます「能」を観たくなった。

兵庫県、三田市にある「三田屋」というステーキレストランの本店で能初心者の講座が開かれている事を知り、さっそく、能・狂言に精通してる落語家の桂吉坊さんの落語「高砂や」を聴きに行った。

能・高砂の解説やあらすじを聴き、初めて観に行く、能演目は「高砂」に決まった。

正直に告白すると、事前にあらすじや解説を聴いたところで、演目を理解する事は難しい。

それでも、最後に目付柱に勢いよく向かって来る”住吉明神”(シテ)の舞は圧巻だし、太鼓の音色はどこか懐かしい感じがして「やっぱり自分は日本人なんだな」という気持ちになる。

三田屋、本店ではお酒を飲みながら、リラックスした状態で能を鑑賞することができる。

演目が終わったあと、美味しいステーキを食べながら演目を振り返る。

YouTubeやネットフリックスを開けば、一生かかっても観きれないほどのコンテンツがある。

家から一歩も出ずに、世界中の情報にアクセスすることもできる。

それでも、また生で能を観たい。

イライラした時に読む

感情が揺さぶられる事象があったら、その気持ちと真剣に向かい合ってみる。

例えば、電車内で電話をしている人を見たら、モヤモヤする。たとえ、周りに配慮をして、小さい声で話していたとしても、やっぱりイライラする。

なぜイライラ、モヤモヤしているのか自分の気持ちを因数分解してみる。そうすると、大抵は「固定概念」が思考の邪魔をしている事が多い。

電車内で電話をする事はマナー違反だからイライラしている事に気付く。

しかし、日本以外の外国では電車内での通話は「マナー違反」ではないので、外国でそのような人を見ても、全くモヤモヤしない。

つまり、自分は「常識」だとか「マナー」という固定概念によって、思考せずにイライラ、モヤモヤする事が多い人間なのだ。

つまり俺は器の小さい漢なのだ。

そういう事が分かると、感情論で判断せずに、自分の頭で考えて物事を判断できるようになった。

・・・・ような気がする。

志の輔らくご 銀座詣 GINZA MODE @観世能楽堂に行ってきた

笑う門には福来る。

新年は笑いで迎えようと、立川志の輔さんの落語を聴きに行った。

発売と同時に売り切れることが多い、志の輔さんの噺を聴く機会が得られたのは、いち志の輔ファンとして僥倖としか言いようがない。

学生時代、ホームシックで寝付きが悪くなると、寝る前に松本人志さんと高須光聖さんの「放送室」を聴いていた。笑っているうちに自分がホームシックだった事をすっかり忘れてしまい、いつの間に眠ることができた。

最近になって、落語を聴くようになった。毎晩、志の輔さんの落語を聴いている。

落語はいまから100年以上まえに生まれた伝統芸能だが、時代に左右されない、普遍的なおもしろさ、味がある。

僕は、日本人が昔から大切にしてきた義理人情を題材にしたネタが好きだ。

昨年、東京で寄席に行った時、月亭方正さんの武士の人情噺を扱った『井戸の茶碗』というネタを聴いて、この噺が大好きになった。

後日、このネタは方正さんが志の輔さんから稽古をつけてもらったと知って、ますます生で志の輔さんの『井戸の茶碗』を聴きたくなった。

そして新年、銀座の観世能楽堂で、志の輔さんの『井戸の茶碗』を聴く機会に恵まれた。

能をやる舞台とあって、厳かな空気が流れる。出囃子が奏でられ、いよいよ志の輔さんが登場すると、万感胸に迫るもの思いだった。

志の輔さんの『井戸の茶碗』は、文字通り、腹を抱えて笑ったし、感動した。

『読者論』で小泉信三さんは、

「すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる。人を眼界広き思想の山頂に登らしめ、精神を飛翔せしめ、人に思索と省察とを促して、人類の運命に影響を与えてきた古典というものは、右にいう卑近の意味では、寧ろ役に立たない本であろう。併しこの直ぐには役に立たない本によって、今日まで人間の精神は養はれ、人類の文化は進められて来たのである。」

と書いている。

落語も同じで、落語を聴いても、すぐには役立つことはない。

噺家が口にする言葉と所作だけで、客である私たちは、その情景や登場人物のやり取りを思い浮かべる。そして、思索と省察を促進することができる。

だから、今宵も志の輔さんの噺を聴いて寝るのだ。

もっとも、志の輔さんの噺を聴くと、心が落ち着くので、マクラを聴いてる時分に寝落ちしてしまうのだが。

参考文献:『読者論』、『落語は素晴らしい』

2018年に訪れて思い出に残った国。

南アフリカ??

2018年は12カ国を訪れた。

・南アフリカ・ケープタウン、ヨハネスブルグ??
・カタール・ドーハ??
・ベトナム・ホーチミン??
・タイ・バンコク??
・オーストリア・ウィーン、ハルシュタット??
・ポーランド・ワルシャワ??
・カンボジア・プノンペン??
・フィリピン・マニラ??
・シンガポール??
・インドネシア、バリ島??
・韓国、釜山??
・ドイツ、ベルリン??

この中で、思い出に残っている旅の写真を紹介する。

2018年の旅は、南アフリカのケープタウンから始まった。

南アフリカの治安はお世辞にも良いとは言えないが、今回は友人2人も一緒だったので、色々なスポットに繰り出すことができた。

移動は、レンタカーとUberを利用した。

レンタカーはマニュアル車が多いので、オートマチック車しか運転できない人は、借りるときに注意が必要だ。

テーブル・マウンテン

ケープタウンの街を見下ろすことができるテーブル・マウンテンに来た。

長旅の疲れも、この景色で一気に吹っ飛んでしまった。

テーブル・マウンテン

南アフリカ、ケープタウン

ケープタウン

ケープタウンは夏

南半球にある南アフリカは、日本との季節は真逆だ。

12月の南アフリカは毎日半袖で過ごせるくらい暖かく、湿度も低くカラッとしている。

この時期の日の出は5:50、日の入りは20:00と日が長い。

夜19時でも、外はこれだけ明るい。

南アフリカに行くなら、夏がおすすめだ。

ケープタウン

喜望峰

ケープタウン

ケープタウンで、1番のお目当てにしていたのが喜望峰だ。

アフリカ大陸最南西端にある喜望峰。日露戦争時にロシアのバルチック艦隊が、スエズ運河を通過できず、(当時、日英同盟を結んでいて、英国がスエズ運河の通航を止めた)この喜望峰を通り日本へ。

大航海で疲れ切ったロシア軍を待ち構えていた日本は日本海海戦で勝利する事が出来たと言われいる。

西ケープ州

喜望峰

ヨハネスブルグへ

ケープタウンでの観光を終え、ヨハネスブルグに向かった。

ケープタウンからヨハネスブルグの国内線はBritish AirwaysのB737-400に初搭乗。

british airways

airbnbでホームステイ

今回の宿泊はairbnbで手配をした。

airbnbを利用する時は、いつも部屋を貸切りにしているが、今回は手配ミスでホストファミリーと一緒に滞在するタイプの部屋を予約してしまった。

しかし、結果的にこれが大当たり。朝ごはんと夕食付きでワイン、ビールが飲み放題だった。ホストファミリーがとても親切で、色々なお話ができて大満足だった。

airbnb

サファリ・ピラネスバーグ国立公園

アフリカといえば、サファリだ。

ヨハネスブルグから2時間くらい車を走らせれば、ゾウ、ライオン、サイ、ヒョウ、バファローなどの人気動物をはじめ、50種類以上の動物と354種類の鳥、132種類の木を観る事ができる。

ゾウ サファリ

キリン

サイ

シマウマ

ベトナム??

南アフリカ・ヨハネスブルグから16時間かけてベトナム・ホーチミンにやってきた。

空港について、すぐにフォーを食す。

調べてみると、ホーチミンに最後に来たのは2013年の11月なので約4年ぶりの訪問だ。

その晩に、主宰しているオンラインコミュニティ・「旅ビジ」のオフ会を開催した。

ベトナム・コーヒー

ホーチミン在住の友人からオススメしてもらった「「TEASPOON coffee & tearoom」に行ってきた。

店名の通りここは紅茶がメインなのだが、友人がオススメしているのが、ここの「べトナミーズミルクコーヒー」だ。

豆をローストしてから、淹れてくれるので、10分くらい待つが、絶品である。

ホーチミン滞在中はベトナムコーヒーを10杯以上飲んだが、ここが1番美味しかった。

ポーカー、APTサテライト大会

ベトナム、ホーチミン最終日はポーカーのAPTサテライト大会に出場した。

1回戦で負けてしまったが、友人たちとポーカーの大会に初参加できて、大満足だった。

貝料理

ポーカーの試合の後は、友人たちとローカルのお店でたらふく貝を食べてきた。

シンガポール??

シンガポール航空

シンガポール航空のB787-10が関空線に投入という事で久々にシンガポールまで。シートは広くないが、コンパクトでノイズも少なく乗り心地は快適。

シェアバイク

ofo

シンガポールで初めてシェアバイクに乗車。アプリからQRコードで解鍵、乗り捨てOK、キャッシュレスと初心者でも分かりやすい設計だ。

さすがクリーン&グリーンシティーを標榜しているシンガポール。大きな通りは文字通り清潔で緑が多い。

singapore

暑いので休憩がてらカフェでteh tarikを飲む。これはマレーシア、シンガポールでいうミルクティ。

シンガポールの風景を50年以上撮影し続けてきた81歳のシンガポール人・Lui Hock Seng氏の写真集を本屋でピックアップ。日本で事前にプレオーダーしておいたもの。

teh tarik

急速に発展したシンガポール。それと引き換えに失われてしまった数々の風景。Lui氏の写真は「古き良き時代への郷愁」を切り取っている。


プラナカン

シンガポールにあるプラナカン博物館を訪問した。

プラナカンというのは、15世紀ごろにマレー半島にやってきた中国人商人と現地の女性の子孫のことを指す。純マレー人でも、純中国人でもなく彼ら独自の文化を持っていて、男性を「ババ」、女性を「ニョニャ」と呼ぶ。

彼らの多くはペナン、マラッカ、シンガポールに今もなお住んでいる。

プラナカン

これはプラナカンの屋敷=ショップハウス。

建築様式はもともと中国から持ち込まれたが、西洋建築の要素が取り込まれ、プラナカン独自の屋敷が完成した。

カトン-ラクサ(加東叻沙)

ラクサ

お昼はEast Coast Roadにある「カトン-ラクサ(加東叻沙)」でシンガポールの郷土料理ラクサを食す。ここのラクサはニョニャ風(プラナカン料理)にアレンジされています。クリーミーなココナッツと魚介がたっぷり入ったスープがマッチして、旨辛。タイ、チェンマイ名物のカオソーイを思い出す味。

ラクサを食べた後は、カラフルなニョニャ菓子でお口直し。プラナカンの家に代々伝わる秘伝のレシピで作られたお菓子だ。見た目とおり甘い。

モスク

僕はモスクが好きで世界中のモスクをまわっている。

シンガポールでもモスクに行ってきた。

インドネシア・バリ島??

初めてのバリ島。大学時代の後輩が、バリ島で働いているので、滞在中はアテンドしてもらった。

シンガポールと比べると風があって涼しい。ランチはFour Seasonsジンバランのレストランでバリの地ビールと渡り蟹のパサタ。バリ島はバリ料理だけでなく、イタリアンも美味しいらしい。目の前にはビーチで最高だ。

夜はローカル食堂にて。その日の朝に採れたシーフードを選んで調理してくれる。無くなり次第、閉店。

今回は鯛と海老をチョイス。その場で焼いてもらって、ビンタンビールと一緒に。安くて旨い。

ウブドにあるスターバックス

バリ島、ウブドにあるスターバックス。寺院の敷地内にあり、池に囲まれた寺院を眺めながらお茶ができる。

レンタルバイクを借りてウブドの街を一回り。田舎道をバイクで走るのは気持ちがいい。

高地にあるので、涼しくて快適。写真はウブドにあるライステラス。長い事こんなに緑が続く風景を見てなかったな。

オーストリア、ウィーン??

子供の頃からずっと来ると決めていた「芸術と音楽の街・ウィーン」にようやく足を踏み入れることができた。

10代のころ、僕はイギリスのケント州に住んでいた。週末になると同州内の隣町・Canterburyにあるイギリス最古のカンタベリー大聖堂に行くのが好きだった。

荘厳かつ神秘的なカトリック教会に完全に心を奪われていた。

他の国へ旅をしている間に、カトリック教会だけでなく、世界中のモスクやお寺など、宗教的建築物に興味を持つようになった。

ウィーンの街中では、ゴシック、バロック、ロマネスク、ルネサンス様式の美しい建築物が建ち並ぶ。

オーストリア国立図書館

オーストリア国立図書館の大広間。世界で最も美しいバロック様式の図書館として知られてる。

蔵書数は約20万冊、300年以上前に書かれた本がそのままの形で残されている。

カフェ

ウィーンのカフェ文化はユネスコの無形文化遺産に登録されている。

街中には素敵なカフェが点在し、カフェ巡りもウィーン観光の醍醐味である。

カフェでは新聞をゆったり読んでいる人、デッサンの練習をしている芸術大学の学生、

世間話を楽しむ貴婦人たち、みんなコーヒーを片手にリラックスしている。

ハルシュタット


ウィーンから片道4時間半の場所にハルシュタットはある。オーストリアを訪れたなら

必ず立ち寄ってほしい。それくらい美しい。

日帰りで行ってきたが、できれば何泊かするのがオススメだ。

ドイツ・ベルリン??

友人に会うため、オーストリア、ウィーンから日帰りでドイツ、ベルリンへ。

ウィーンからは3時間あればヨーロッパの国ならどこでも行けて便利だ。

ウィーンと比べると、ベルリンは少し肌寒い。

モンゴル発の100%カシミヤブランド「GOBI」

友人との待ち合わせまで時間があったので、ベルリンの街をぶらぶら。

GOBIがセール中だったので、カシミヤコートを購入。

友人とベルリンビールを呑みながらブラブラ街を探索。久々にいろいろ話せて楽しかった。

ポーランド・ワルシャワ??

オーストリア、ウィーンから寝台列車に乗ってポーランド、ワルシャワまで。

オーストリアからチェコを超えてポーランドまで11時間の旅だ。

ショパンコンサート

ワルシャワ市民の毎年夏のお楽しみ。

5月から9月にかけて毎日曜日の12時と16時から行われているショパンコンサート。雨天中止だから厳しいかなと思っていたけどなんとか晴れた。

動画の撮影は禁止されているので、映像でお届けできないのは残念だが、最後の「英雄ボロネーズ」が本当に素晴らしかった。

コンサート後はワジェンキ公園内にある、19世紀のルネサンス庭園を改装して造られたレストランで、サンデーランチ。

お昼からシャンパンも呑んでしまうのだ。

ワルシャワ旧市街地

旧市街地を散歩中。旧市街地とミニクーパーの相性が抜群。

ちょっと休憩。ZYWIEC・ポーランドビールと肴にポーランド料理のPierogiを食らう。

ショパン博物館

ショパン博物館で観たのは、170年前にショパンが実際に作曲で使っていたピアノ=プレイエル。

ショパンサロン

夜はショパンサロンに参加。ショパン音楽アカデミーの生徒さんがショパンの曲を披露。全8曲、贅沢な1時間だった。帰り道も頭の中で曲がリフレイン。

ワルシャワでは、とにかくショパン三昧。また、夏のショパンコンサートに参加したい。

カタール、ドーハ??

芸術と音楽を満喫できた。つぎはカトリックの国からイスラームの国へ。

モスク

カタール、ドーハは世界一退屈な街と揶揄する声もあるが、こんなに美しいモスクもある。見惚れてしまう。

カタール、ドーハのスーク(市場)は何度来ても飽きない。魔法の絨毯が空を飛んでいても驚かない。ここでアラブ料理を食べてシーシャをゆっくり嗜むのが、いつものコース。

今回はスーク、ワキーフでお土産を色々購入。やっぱりイスラームの世界が好きだ。もっと中東の色々な国を旅したい。

さいごに

振り返れば2018年も色々な国を訪れることができた。

2019年はどこに行こうか。

ウルトラセブンと喧嘩


明け方から腹立たしい事があった。

何があったか、ここでは書かないが、とにかく腹が立って仕方がない。

怒りをしずめるためにコーヒーを飲んでいたら、ふと数年前に購入した「ウルトラセブン」のフィギュアが目が入った。

こっちはただ見ているだけなのに、ウルトラセブンの野郎ときたら、こちらを睨みつけてきやがる。

嗚呼、忌々しい。

地球人を救うヒーローだと世間様からチヤホヤされているが、実態は地球人のフリをして密かに地球征服を目論んでいるのだろう?

われわれ地球人は、M78星雲による壮大なプロパガンダによって騙されているに違いない。

そう思ってウルトラセブンについて調べてみる事にした。

セブンの悪事を暴き、一刻も早く皆に伝えなくてはいけない。

こんな事を僕は朝から真剣に考えていたのだから「中二病」という言葉は確かに存在する。

それはさておき、

百聞は一見にしかず、ウルトラセブンを実際に観てみることした。

49話もあるから、いきなり最終話を観て決着をつけてやろう。

しかし、そんな気持ちとは裏腹に、このあと僕はウルトラセブンに魅せられてしまうのである。

数々の戦いで満身創痍の「モロボシ・ダン」ことウルトラセブン。

このまま戦いを続ければ、命の保証はないと、故郷の上司から宣告をうける。

それでも彼は地球人のために立ち上がり、自分の命を犠牲にして立ち上がろうとする。

そしてクライマックス。ここからが秀逸だった。

モロボシ・ダンが、ヒロインであるアンヌ隊員に、自身がウルトラセブンであることを告げるシーン。

ダンの告白と同時にシューマンのピアノ協奏曲が鳴り響く。特撮とクラシックの融合が最高にイカす。

モロボシ・ダン:「僕は……僕はね、人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ。ビックリしただろう?」

アンヌ隊員:「ううん。人間であろうと、宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりないじゃないの。例えウルトラセブンでも」

モロボシ・ダン:「今話したとおり、僕はM78星雲に帰らなければならないんだ。西の空に明けの明星が輝くころ、一つの光が宇宙へ飛んでいく。それが僕なんだよ。」

アンヌ隊員の静止を振り切り、ダンは地球人を救うために最後の宿敵を倒しに行く。

ボロボロになりながらも、なんとか敵を倒し、西の空に飛び立つウルトラセブン。そこで、ピアノ協奏曲も同時にフィナーレを迎える。

“知ってるかい 忘れてはいけないことが
何億年も昔 星になった
どんな時代の どんな場所でも
同じように 見えるように”

というのは甲本ヒロトの詞だけれど、つまるところ、地球征服を目論んでるだなんて、甚だしい誤解であり、地球人の心に今でも生きているのは、他でもないウルトラセブンなのである。

僕はモロボシ・ダンのフィギュアを大切に戸棚にしまった。
西の空には明けの明星が輝いている。

努力と取引しない

NDAを結んでいるので業務内容はここでは詳しく書けないのですが、数ヶ月前から新事業に取り組んでます。

今までやっていた事業とはフィールドが違う上に新事業なので先人たちのノウハウがありません。

いまは0から1をつくる段階なのですが、中々結果が出ません。仮説を元に失敗をしては軌道修正をして、また仮説を立てて失敗をするの繰り返しです。

0.5まで進んできたかな?と思った頃にまた0に逆戻りする。心が何度も折れそうになり辞めようかなと思っては自分を奮い立たせています。出口が見えない迷路に迷いんだ感覚です。

ここで注意をしたいのが、努力をしているからいつかは報われると思考停止をして、むやみやたらに猪突猛進してしまう事です。

努力をしているからといって必ずしも上手くいくとは限りせん。正しい方法で前に進まないと0はいつまで経っても1にはならず、努力をしている事で安心感を得て本来のゴールを見失ってしまいます。

決して努力と取引をしてはいけません。

この気持ちを忘れないようにお風呂に浸かりながら走り書きです。誤字脱字失礼。

アラスカ航空の電話サポートがAIアシスタントを使っててビックリした。

「Hey Siri」や「Ok.Google」でお馴染みのAI音声アシスタントですが、米国の航空会社・アラスカ航空でも音声アシスタントを使っていました。


初めてという事もあるかもしれませんが、自動音声を聞いてダイヤルをプッシュするよりも、

実際のオペレーターと繋がるまで時間が短く感じました。

音声アシスタントとはいえ、実際に会話をしているからでしょうか。

今後は音声アシスタントのカスタマーサポートがどんどん増えていくのでしょうかね。

米中通貨戦争とビットコイン その先の投資チャンス

オーストリアから帰国してから時差ボケで寝付けないので、
夜な夜な
米中貿易戦争や米ドル、人民元についてリサーチしました。

関連する書籍(『検証 米中貿易戦争』)や文献を読んだり、中国人の友人に聞いたことを整理するためにブログにまとめました。

結論からいうと、中国が為替相場を今の「管理変動相場制」をギブアップし、「自由相場制」にシフトをした時が優良株が格安になります。

その時が、中国株へ最大の投資チャンスだと睨んでいます。

人民元の歴史

ざっくり人民元の歴史を解説すると、

・1949年??中華人民共和国を建国後、中国政府は人民元の相場を米ドルと固定連動させる「ドルペッグ制=固定相場制」をとり、人民元を安定させてきました。

・中国は「為替操作国」に認定されると、経済制裁を受けるのを回避するために、2005年には、米ドルに対して中心レートから±0.3以内で変動する「管理変動相場制」を修正採用し、現在に至ります。

人民元は事実上「米ドル本位制」です。米ドルの裏打けが信用となって人民元は成り立っています。

米ドルが多く世に出回れば、人民元もその分流通し、経済成長をしてきました。

リーマンショック時に米FRBが金融緩和政策で米ドルを大量発行した際に人民銀行は大量の米ドルを購入し、ドルの裏付けを担保に人民元を大量に刷って国内の銀行に供給し国民に融資をしました。その結果、中国の景気は回復し、2010年には日本のGDPを追い抜きました。

現在の人民元の相場は、中国政府が徹底的管理のもと、安定を保っている状態です。また、前述した通り、人民元はドルに裏付けされているので、米ドルなしでは存在しえない通貨なのです。

中国政府は人民元を安定させるために為替に積極的に介入し、大量のドル買いをしたため、中国の外貨準備金も日本を抜いて世界1位になりました。

(外準は1995年末は754億ドルだったのが、2018年6月末時点で3兆1120億ドルに増加)

人民元の歴史について詳しく解説すると長くなりますので、詳細を知りたい方は以下の文献を一読してください。

参考:谷内 満(2009年). 中国元から見た中国経済

https://www.jica.go.jp/jica-ri/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jbic/report/review/pdf/37_09.pdf

トランプ大統領が仕掛けて来た貿易戦争

中国は貿易を通じて巨額の経常収支を計上してきました。主な貿易相手は米国です。米国をはじめ世界中に安価な中国製品を輸出することで、2001年から17年連続経常収支は黒字でした。

しかし、2018年1-3月期における中国の経常収支はマイナス341億ドルとなり2001年4-6月期以来の17年ぶりに赤字に転落しました。

参考:大和総研レポート
https://www.dir.co.jp/report/research/economics/china/20180710_020192.pdf

さらに追い討ちをかけるように、トランプ大統領が中国に対して対米貿易黒字2000億ドル削除措置を要求しました。

トランプ大統領は米国歴代大統領とは違い中国に対しては強靭路線を貫く姿勢です。

対米貿易黒字をさらに2000億円減らすとなると、いよいよ中国の経常収支は年間を通しても赤字を避けられない状況になります。

海外からの対中直接投資の減少

外貨獲得には輸出以外にも、海外から中国への直接投資も大きな収入源になっています。

しかし、近年は中国人の人件費の高騰、チャイナリスク、深刻な大気汚染の影響などの影響で以前より対中直接投資に慎重になっている企業が増えています。

資本逃避とビットコイン

2015年に中国は輸出強化のために人民元を切り下げました。(=人民元安になりドル資産が目減りする)それに嫌気をさした国内投資家は色々なルートをつかって、海外に資本を逃避しました。

そのルートの1つとしてビットコインも大きく寄与していると言われています。2015年の資本逃避の規模は年間1兆円にものぼりました。

人民元はビットコインに変身したあと、ドルなど外貨に交換される。即ち、中国からの資産流出となり、人民元が外国為替市場で売られる。人民元交換変動幅を前日比で±2%以内でとどめるよう、市場に介入する中央銀行の中国人民銀行は人民元の大幅下落を避けるために、外貨準備を取り崩すはめになる。2016年の前年比外貨準備減少額は3200億ドル。年間で3300億ドル相当のビットコイン取引のうち大半は人民元によるビットコイン買いとすいてされるので、外準急減の元凶はビットコインだと習政権が重大視するはずだ。

ドル不足に陥る中国

資本流出そして海外からの収益が減れば外貨準備高が減り、中国金融に陰りが見えてきます。

何故なら、最初に説明したように人民元は米ドルに裏打ちされているからです。ゆえに中国へドルの流入がなくなれば、中国金融システムは立ち行かなくなり、世界全体を巻き込む金融危機に陥る可能性があります。

そして、経常収支の赤字がこのまま続くようならば人民元は必要以上に売られ、中国政府はドル不足で買い支えができなくなり、「管理変動相場制」から、「自由相場制」へのシフトを余儀なくされるのです。

過去にも固定相場制を採用していた国は、ヘッジファンドによる通貨売りで通貨が大暴落しました。そして、ポンド危機やアジア危機が起こりました。

固定相場制を採用していた国が自由相場制に移行すると、通貨はいったん大暴落します。そして経済再生には何年もかかる場合があります。

歴史から学んだ中国の資本規制

しかし、中国はポンド危機やアジア危機の二の舞を避けるために政府による徹底的な資本規制を敷いています。

国内外との取引で国内に入ってくるドルは、政府が買い上げて、レートも政府が徹底して管理します。

つまり自由相場制への移行は中国共産党の市場支配力の無力化を意味するので、中国政府は何としてでも自由相場制にはしたくありません。

米国債カードと13億中国巨大マーケット

中国は米国債を世界一持っている国です。貿易戦争のカードとして米国債を利用する事も出てくるでしょう。

また、米企業の代表格、アップル、IBM、マイクロソフトや自動車関連企業にとっても13億の中国市場は大事な顧客です。なのでアメリカ歴代大統領は、中国に常に配慮してきました。

トランプ大統領は何をするか予測不能の人物なので、通貨戦争を本気で仕掛けてくる可能性は十分ありますし、このまま両者の睨み合いが 長期化する可能性もあります。

自由相場制のあとに起こること

経常収支の赤字が続き、人民元が売られ、外貨準備高不足すれば「自由相場制」にシフトする可能性があります。

仮にそうなれば、人民元は暴落するでしょう。ただし、中国は資本規制をガチガチにしているので、アジア危機ほど通貨が暴落する事はないかもしれません。

ただし、経済の混乱は必至でしょう。株価も低迷するときが中国株は絶好の投資チャンス到来です。

巨人・中国は破綻しない

経済は大混乱するでしょうが。それはイコール中国が破綻するという事ではありません。

中国には13億人と世界一の人口を誇ります。経済混乱が生じても消費が0になる事はありません。

また、中国には優良企業がたくさんあります。

さらに、中国の預貯金は2017年末までに27兆ドルで、日本の3倍、米国の2倍と世界一の預貯金があります。

今後、中間層の割合が増えれば、今はGDPでも割合が少ない家計の消費がぐんと伸びるでしょう。

13億人の内需だけでなく、華僑経済と密接につながるASEAN諸国、日本、欧州、米国、そして「一路一帯」プロジェクトと国内だけでなく、外にも大きな可能性を秘めている中国はカンタンには破綻しないはずです。

オーストリア、ウィーンの旅

子供の頃からずっと来ると決めていた「芸術と音楽の街・ウィーン」にようやく足を踏み入れることができた。

オーストリア、ウィーン??はこの1世紀でもっとも変貌、転換をきわめた国の1つであろう。
100年前のオーストリアは、ハプスブルク家お得意の婚姻政策による相続と戦争による領地拡大の結果、ヨーロッパで一二を争う大国だった。

それが、第一次世界大戦で敗戦すると領土の大半を失い、第二次世界大戦時にはナチス・ドイツに飲み込まれ、国家そのものが消滅した。

戦後、オーストリアは独立し、永世中立国となった。

僕がこれから見るオーストリアは今の体制になってから、また半世紀も経っていない。

新しく、それでいて古くからの伝統が今なお残る国家だ。

2018年7月に僕が印象に残ったオーストリアでの体験をここに綴る。

美しい街並みとカトリック教会

10代のころ、僕はイギリスのケント州に住んでいた。週末になると同州内の隣町・Canterburyにあるイギリス最古のカンタベリー大聖堂に行くのが好きだった。

荘厳かつ神秘的なカトリック教会に完全に心を奪われていた。

他の国へ旅をしている間に、カトリック教会だけでなく、世界中のモスクやお寺など、宗教的建築物に興味を持つようになった。

ウィーンの街中では、ゴシック、バロック、ロマネスク、ルネサンス様式の美しい建築物が建ち並ぶ。


<写真はウィーンの象徴・シュテファン大聖堂 ゴシック建築>

歴史ある美しいバロック様式の図書館がウィーンに現存している。300年以上前に執筆された本が展示されている。1つの本がとても丁寧にかつ丹精込めて創られていた。


ウィーンの街中を歩いていると、一際目立つのがペスト柱。医学の発達で、ペスト菌でいまは命を落とすことはないが、17世紀には世界中の人がこれで命を落とした。

ペスト柱の大きさから、当時の人たちがどれ程苦しんだかが伺い知れる。


平日毎日開催しているオルガンコンサート。荘厳なカトリック教会に響き渡るオルガンが心地よい。

無料コンサートだが最後に寄付のお願いをしている。


ミヒャエル広場ではローマ時代の繁栄の遺跡を見る事ができる。今でも街中でメタル探知機を持った人が歩いていて、聞くところによると、彼らはローマ時代の遺跡を探しているそうだ。


LGBTフレンドリーシティー

カトリック教徒が大半を占めるオーストリアだが、ウィーンは世界でも有数のLGBTシティとして名を馳せている。

カフェ文化


ウィーンのカフェ文化はユネスコの無形文化遺産に登録されている。

街中には素敵なカフェが点在し、カフェ巡りもウィーン観光の醍醐味である。

カフェでは新聞をゆったり読んでいる人、デッサンの練習をしている芸術大学の学生、

世間話を楽しむ貴婦人たち、みんなコーヒーを片手にリラックスしている。

カフェに入るとまずコーヒーの種類の多さに困惑する。初心者ならなおさらだ。

ウィーンでチェーン展開をしているカフェ「Aida」のメニューには図解でコーヒーの種類を説明しているページがある。

毎日いろいろなカフェを試した。レトロなカフェからモダンなカフェまで

とても1週間では周りきれないほど、ウィーンの街中には多種多様なカフェ店がある。

ウィナーコーヒーといえば、「アイシュペンナー」だと地元の人が言うので、早速アイシュペンナーの名店「Tirolerhof」にやってきた。

自家製の「アプフェルシュトゥルーデル」も一緒に。

ハプスブルク家が夏の間に利用していた離宮=シェーンブルン宮殿の庭園近くにもカフェがあり、休憩がてらに利用した。

朝からコーヒーを呑みながらピアノの演奏が聴ける。こんな贅沢があるだろうか。

水が無料の国

ヨーロッパ諸国では水は買うものだが、オーストリアでは早くから上水道が整備された。

そのおかげで、蛇口をひねればアルプスの天然水を飲む事ができる。

街中には水を飲めるスポットがいくつも確認できる。

ちなみにトイレに使う水もアルプスの天然水だそう。

ウィーンの公共交通機関

ウィーン市内の移動は外国人でも至極簡単なシステムになっている。

1枚の切符で、地下鉄、市電、バスの全てに乗車できる。

切符は◯◯駅から◯◯駅までと買う必要はなく1枚の切符でウィーン市内であれば

どこでも行ける。

乗車料金も安く、1年定期はたったの365ユーロだ。

サイクリングシティー

ウィーンは世界有数のサイクリングシティーとしても有名だ。

レンタルバイクが30分5€と格安で利用できる。

夏はサイクリングをしながらウィーンの街並みを楽しむのも良いだろう。

音楽と芸術の街

さすが芸術・音楽の都と言われるだけあって、街中では芸術、音楽に触れる機会が多い。

オーストリア美術史美術館は、膨大な量の展示品があるので、すべて観るには数時間かかる。

今回はお目当のブリューゲルの作品を中心にまわってきた。


ウィーンに45年以上在住の叔母の展覧会にも行ってきた。ウィーンの芸術大学を出て、

ずっと芸術と音楽に携わって生きている。カッコイイ生き方だ。


ピアノの演奏をしているカフェやレストランも多いが、駅内でも演奏者が多い。

ちょっと立ち止まって演奏に耳を傾けてチップを渡す。

ウィーンにはそういう文化がある。

インターナショナルシティー

ウィーンにはオーストリア人以外にも多くの外国人が生活をしている。

統計によると約15%が外国籍だ。

ユーロバロメーターの調査によるとオーストリア人の73%が英語に精通している。

ウィーンに住んでいる従姉妹に誘われて、ピクニックに行ってきた。

そこには従姉妹が招待した友達も来ていた。オーストリア人だけでなく、

ブラジル人、ドイツ人、セネガル人、そして日本人のぼく。

僕以外は全員ドイツ語が話せるが、ピクニック中は僕に気を遣って

英語で会話をしてくれた。オーストリア人は夏場の休日は公園で

ピクニックをする人が多いらしい。みんなで料理を一品持ち寄って

のんびり食べる。

世界一美しい湖街 ハルシュタット

ウィーンから片道4時間半の場所にハルシュタットはある。オーストリアを訪れたなら

必ず立ち寄ってほしい。それくらい美しい。

日帰りで行ってきたが、できれば何泊するのがオススメだ。

さいごに

子供のころの夢がついに1つ実現できた。つぎは、ショパンを生んだ街ポーランド・ワルシャワへ。

中国語がぜんぜん出てこない

羽田空港に向かう電車で、前に立っている女性から
「next haneda airport?」と聞かれた。
「Yes, domestick or international?(国内線それとも国際線?)」

と聞くと英語が分からないのか、キョトンとした顔でこちらを見つめてきた。
彼女はハッと何かを思い付いたようで、僕にスマホの画面を見せてきた。

画面には旅程表が中国語で綴られていた。中国語で教えてあげようと
思ったが、全く中国語が出てこない。上海に1ヶ月間も勉強したのにな。
全然ダメだ。

やっとの思いで、拙い中国語で「你去中国吗?(中国に行くの?)」と聞いたら、笑顔で「对、对(はい!)」
と返事があったので、次に降りるんだよ!と言おうと思ったのだが、これまた
出てこない。。。次は中国語で「下次」と言ったら通じたようで
大きい声で3回くらい謝謝と言われたので少し照れた(笑)

日本を楽しんでもらえたかな?

やっぱり外国語で話しをするのは楽しい。学生時代に戻った気分だ。

おわり。