イライラした時に読む

感情が揺さぶられる事象があったら、その気持ちと真剣に向かい合ってみる。

例えば、電車内で電話をしている人を見たら、モヤモヤする。たとえ、周りに配慮をして、小さい声で話していたとしても、やっぱりイライラする。

なぜイライラ、モヤモヤしているのか自分の気持ちを因数分解してみる。そうすると、大抵は「固定概念」が思考の邪魔をしている事が多い。

電車内で電話をする事はマナー違反だからイライラしている事に気付く。

しかし、日本以外の外国では電車内での通話は「マナー違反」ではないので、外国でそのような人を見ても、全くモヤモヤしない。

つまり、自分は「常識」だとか「マナー」という固定概念によって、思考せずにイライラ、モヤモヤする事が多い人間なのだ。

つまり俺は器の小さい漢なのだ。

そういう事が分かると、感情論で判断せずに、自分の頭で考えて物事を判断できるようになった。

・・・・ような気がする。

志の輔らくご 銀座詣 GINZA MODE @観世能楽堂に行ってきた

笑う門には福来る。

新年は笑いで迎えようと、立川志の輔さんの落語を聴きに行った。

発売と同時に売り切れることが多い、志の輔さんの噺を聴く機会が得られたのは、いち志の輔ファンとして僥倖としか言いようがない。

学生時代、ホームシックで寝付きが悪くなると、寝る前に松本人志さんと高須光聖さんの「放送室」を聴いていた。笑っているうちに自分がホームシックだった事をすっかり忘れてしまい、いつの間に眠ることができた。

最近になって、落語を聴くようになった。毎晩、志の輔さんの落語を聴いている。

落語はいまから100年以上まえに生まれた伝統芸能だが、時代に左右されない、普遍的なおもしろさ、味がある。

僕は、日本人が昔から大切にしてきた義理人情を題材にしたネタが好きだ。

昨年、東京で寄席に行った時、月亭方正さんの武士の人情噺を扱った『井戸の茶碗』というネタを聴いて、この噺が大好きになった。

後日、このネタは方正さんが志の輔さんから稽古をつけてもらったと知って、ますます生で志の輔さんの『井戸の茶碗』を聴きたくなった。

そして新年、銀座の観世能楽堂で、志の輔さんの『井戸の茶碗』を聴く機会に恵まれた。

能をやる舞台とあって、厳かな空気が流れる。出囃子が奏でられ、いよいよ志の輔さんが登場すると、万感胸に迫るもの思いだった。

志の輔さんの『井戸の茶碗』は、文字通り、腹を抱えて笑ったし、感動した。

『読者論』で小泉信三さんは、

「すぐ役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる。人を眼界広き思想の山頂に登らしめ、精神を飛翔せしめ、人に思索と省察とを促して、人類の運命に影響を与えてきた古典というものは、右にいう卑近の意味では、寧ろ役に立たない本であろう。併しこの直ぐには役に立たない本によって、今日まで人間の精神は養はれ、人類の文化は進められて来たのである。」

と書いている。

落語も同じで、落語を聴いても、すぐには役立つことはない。

噺家が口にする言葉と所作だけで、客である私たちは、その情景や登場人物のやり取りを思い浮かべる。そして、思索と省察を促進することができる。

だから、今宵も志の輔さんの噺を聴いて寝るのだ。

もっとも、志の輔さんの噺を聴くと、心が落ち着くので、マクラを聴いてる時分に寝落ちしてしまうのだが。

参考文献:『読者論』、『落語は素晴らしい』